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ダムダム日記

ダムのように深い、バスケットボールが弾む音

ぼっち、ひとりぐらしをする…!

 

一人暮らしが始まった。

慣れ過ごした家を出ることは最初信じられず、自分でやることを決めたくせに実感が全くわかなかった。

何だかんだ、前の家には10年も住んでいたのだ。親が死んで移ったマンションだった。

住んでいた街は好きでもあり、嫌いでもあった。

都会の端で、人がうじゃうじゃいるわけでもない落ち着いた場所。

でも、自転車を走らせればすぐに色んな街へいくことが出来た。帰りには家の近くにある200円のたこ焼きを買って帰った。

近所には林みたいなところがあって、脇を通ると春には桜が満開でとてもきれいだった。

引きこもり気味だったから、そこまで都会の楽しさを理解できているわけではないけど僕はあの街が好きだった。

そう、引きこもりがちになった原因を生み出した街でもあった。

公立の中学で不登校になってから自信もなくなり、人が怖くなった。外へ出るといつ知り合いに出くわすのかビクビクした。

中学を卒業した後も、不安感は消えなかった。

人の顔を見るのを控えたのもこの頃で、今でも人を見るのが苦手だ。

未だにあの頃の鬱屈した状況を完全には抜け切れていない。

あの街は人生の中で一番長く過ごした街。色んな感情が入り混じって、よく分からない。もうあまり戻ることもないだろうけれど、あの街で過ごした嫌なことも楽しかったことも大切にしたい。

 

一人暮らしだけでなく、大学生活も始まったわけですが、相変わらずの感じで精神的に病んだりハイになったりであれですが、何とかなりそうな気がする。

フル単とってさっそく切ってみたり、勢いでバイトに応募してみたり。

この街も毎日大学のために来ている割にはまだ馴染みがない感じがするけれど、色んな感情入り交じる街として記憶に残ってくれるでしょう!

 

 

 

気持ちのブレ

 

調子の波が激しい。

最近は講義が怖くてメンタルやられた。まだ始まってないよ笑シラバス見ていただけで心臓がバクバクした。

更に一人暮らしで金銭面でも気になっているのだから尚更だ。

これからどうなるんだろう。

一人暮らしとはいえ呼ぶ人間もいないので、家族とも離れ完全に人との関わり合いがなくなってしまう。

それでも自分が望んだことだ。家を出ることでいいこともたくさんある。

だから受け入れるけれど。メンタルはこれからも上下することでしょう。

 

単位は少なめだけど取れている。留年なんてことにはならなそう。まあ今のところは。

留年なんてことになったらお金もないし、一人暮らしは破棄and休学なんてことになるだろうな。怖すぎる。

後2年間、40単位+卒論で大学もおしまい。こんなもんかよ。卒論が怖いな。レポートが怖すぎてこれまでレポートが出題された講義を8単位くらい落としているしなんとかしなければ。はあ

 

なんか一人ぼっちでさ。大学らしいこともせずに終わってしまうのかな。驚いたことに、自分の中に専門的な知識がひとつも蓄えられていない。何故かと言うと、許容されるギリギリまで、教養科目や他学部、専修の講義を取っていたから。これで終わってまうのかという気持ちにもなるが仕方ないね。

 

今の不安は何だろう

単位取れるかどうか

講義のグループワーク

一人暮らしの金銭的なこと

就職や経済的自立に向けての活動

 

コミュ力上げて、努力量増やせれば全て解決するんよね。

ほんと努力ができない。今日増田でそんな話題が出ていたけれど、僕もできなすぎて泣いてきた。決意と挫折を繰り返している。2浪もして、ぱっとしない大学生になってしまった。努力できれば良かったのに。あーあ。

自分が得意なのはやれって言われたことをやることね。自由にペース考えてやるみたいなことできない。夏休みの宿題もぶっちしたよ。提出しないで登校し、何事もなく一日を終えようとしたら親に叩き起こされてやる羽目になったけど。

地頭いいつもりでいたけど、どうなんだろうね。前読んだ本で、知能よりも自制心の方が収入に影響するってあったけどそうなんだろう。自分で勝手に考える能力より、賢い他人の力をがんがん取り込める人間のほうが良いに決まってる。情報なんてどこにでもある。人間として必要なのはそっちでしょ。

 

ホームレスが見えない誰かに向かって喋るみたいに、僕もここに流れなんて気にせずぶちまけている。孤独が辛いのか、肯定感がないのが辛いのか。人生やってらんねー。

外出が怖い

 

今日は買い物のために少し家を出たのだが、

外に出るのが非常に怖くなっていた。

まあたまに起きる現象で、またかという気持ちもあった。

家の外から子供の遊ぶ声が聞こえ、窓からはその親が雑談をしているのが見える。

この騒いでいる中を出るのが非常に苦痛だ。

まず挨拶をしたくない。面識もないのだけれど、何となく同じ枠組みの住宅に住む以上、何かしらの言葉を発するべきなのかと悩みそして罪悪感を感じる。

結果、顔を見せないように軽く伏せつつ自転車置き場まで向かうことになる。

相手側もそこまでこちらに対して気にはしてないようなので心配するほどのことではないのかもしれない。

外出後も他人の視線からくるのか、妙な不安と緊張感があり、精神的に非常に疲れた。

まずお店に向かい、お金を使うことも苦痛なのだ。

入ったスーパーで適当に食材を見繕い買う。ただそれだけのことのはずなのに。

 

まあ今日は色々できたので良かった。普段は引きこもっているのだからね。

今これを書いている時点でかなり疲れてしまった。すでにネムい。

世の中の人々はもっとバイタリティに溢れているようにみえる。

これからやっていけるのだろうか。知らんが、少しは自分でやっていきたいという気持ちはある。

早く不動産に連絡しなければ…。

死にそう

 

お見舞いに行ったら、死にそうという感じではなかった。

普段、老人の医療費とかムカつくけど、結果身近な人となるとなんとも言えなくなるよね。

 

不動産にメールしないと。おら、いい物件を教えろと。でもこの時期が時期だから急かされる感じ好きくないね。まあ仕方ないのか。内見するのめんどい。

ミュシャ展に行った

 

 

ミュシャ展を観に行った。

美術館なんて行くことはあまりないのだけど、暇だし少し気になったので。

 

ものによっては広いホールの天井まで届くようなでかさ、技術的なうまさだけでなくそれ自体の大きさで圧倒する感じは普段見ないだけに新鮮だった。

 

ただ個人的に印象的だったのは、リトグラフという版画で描かれたポスター大の絵。

花をテーマにした女性であったり宣伝する舞台の一場面だったりが描かれている。これは今の日本の所謂二次元的な表現に通じる感じがして面白かった。

 

まあ見ていて思ったのが、描かれた背景みたいなのが分からないと半分くらいしか楽しめないのかなということ。

普段はマンガや映像、ゲームなどビジュアルだけでなく、ストーリーや音楽などを通して同時に表現されることに慣れきっているため何となく、物足りなさは感じた。その一見したところでは伝わらない敷居の高さを乗り越え、背景を含め理解し楽しめることが、ある種の人にとってはステータスになるのかなと思った。

 

「君の名は」を見た。

 

先日君の名はを見た。

映画としての完成度や映像の綺麗さは、

売れすぎて少々うがった目線で見ていたことすら忘れるほど圧倒的なものだった。

メガネを忘れ多少ぼんやりしつつも、どの場面でも美しい風景がバックに移りストーリーだけでない楽しみがあった。

忘れたくなかった、彼女の名前を、救った命を忘れて大人になる。

ラストは今までの新海作品だったら、すれ違いはせよはっきり思い出せないまま終わるのではないだろうか。

 

考えてみれば、こういった思い出せないけれど大切だったはずの出来事、気持ちは誰しもあるようなきがする。

僕自信色んな作品に触れる中で、感動して数日は登場人物に思いを馳せるのだけど気づくともう頭には別のことでいっぱいになる。

編入や受験で悔しい惨めな思いをして、再起を誓ってもいつの間にかネットを始めている。

大切な気持ちはマジックで手に書くくらいの気持ちでありたいと思えた作品だったのでここに書いておく。

 

 

 

 

saikinn

ブログから離れてかなり時間がたった。元のブログは削除して、でも捨てきれなかった記事がゴミのように積もっているだけ。

最近は適当に大学に行って、ゲームをしている。瞑想や筋トレもしているが気休め程度。

単位を取って、留年しないだけましと考えるときもあるが、何だかんだこの生活を完全に肯定的に見ることはできない。

 

4月から一人暮らしを始めることになった。バイトはしていないし、家もそこまでお金はあるわけではないのだけど、無理を言った。

わがままなんだろうか。でもわがままでもいいや。

 

親は死ぬほど働いている。ブラックを笑えないくらいで休日もない。

申し訳ない気持ちもあり、でもやる気の出ない自分がいる。

 

働くのが怖い。

今の自分では何十年もの時間を乗り越える自信がない。