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ダムダム日記

ダムのように深い、バスケットボールが弾む音

主体であること

誰にも動かされない。

たとえせざるを得ない状況であっても、

自らが選択して行動をするということから逃げない。

どんな団体に属しても、一人であっても。

選択できない人間に価値などあるか。

やめたこと

やめようと思ったり、でもやめられなかったりするのは不思議だ。

誰のためにも書かない。それが大事なんだ。

ふふふふれっしゅ

ふふふふれっしゅなおりーぶ いかかがですかー。

 

なんだろう。もう何もかも承認欲求のせいだと思う。

ブログを消して、いんぽーとしたけど、

ネットの関係性なんて構築できなかったわけで、いつの間にかアクセス減るしスター来ないし。ブログもいつの間にか更新されなくて消えることなんて多々あって、その一人にすぎない。そういう消える人って多くはリアルが忙しいとかそういうのだろうけどね。

ただただ寂しい。でも結局暗闇の中で叫んでも返事は来ないし、もういいやとなった。なんかダサい気がする。でも本当に寂しいし、寂しさが紛れないならやる必要なんてないくらいの気持ちになってしまった。他にも各場所はあるし。1年に2000円くらいは入ってくるからもったいなかったな。まあいいよ

今年やったことの感想と来年の抱負

 

 

冬休みはいって時間が立つのがはやい。

もう大晦日なんだなあ。

年齢とともに時間が経つのが体感的にはやくなるというけど、もろに実感している。

 

今年やったことの感想を書く。

うまくいったこともいかなかったこともあった。

 

編入

落ちた。

今でもふとああ落ちたんだなあと考える時がある。

大学の掲示に受けたとこの学園祭の張り紙があってうっとなった、なんであんだよ。

 

残ったもの

 

親への信頼感

編入に関連して色々と話すことがあった。

放任主義なとこに恨むこともあったけど、何だかんだ支えてもらっているなと思い知らされた。

 

TOEICのスコア

820点取れた。

 

専門に関する若干の知識

経済学の勉強をした、無駄にはならないかな。

 

自分への理解

自分に対する失望とともに、いいかげん諦めがついた。

過剰な期待感が自分を苦しめるのだ。

 

瞑想

これ始めたことが一番の成果かもしれない。

神経質で色々と気にしていたことが、あまり気にならなくなった。

どこかで悪口を言われているのではとか、妄想することが減った。

 

音楽

今年の始めあたりに聴いてたのなんてもう覚えてないけど、それなりに聴いた気がする。

相変わらずHIPHOPが多い。

色々と出てきてはいるが、YENTOWNが一番好きだ。

あとこれも良かった。

youtu.be

みてて面白い。

 

買ってよかったもの

 

ヴァセリン ペトロリュームジェリー(大)368g(並行輸入品)

ヴァセリン ペトロリュームジェリー(大)368g(並行輸入品)

 

 

めちゃくちゃいい。

ワセリンがアトピーにいいみたいな記事を見て買った。

皮膚弱いので今の時期とかクリームが欠かせないのだけど、半年使ってきてこれは大容量で全然終わる気配がない。

これとニベアもってれば大丈夫って感じだ。

 

 

スイッチ!

スイッチ!

 

変わるために必要なことが書いてある。

自己啓発かもしれない。でもいい本。

要約すると意欲が湧くような目標と、そのための具体的な行動設定をすることが大事って話。

それらの理念に沿って変化を起こした人や事業の具体例がたくさん載っている。

 

 

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

 

 内発的な意欲に関する本。

やる気がない自分をどうしたら良いか考えたかった。

前書いた記事とかもこれのこと書いているだけ。

やる気を上げるために、アメとムチで釣るように外発的な制約をかけることって多いけど、それってどうなの?という内容。

関連する書籍も読んで理解が深まった。

内発と外発という軸に加えて、行動の利益が行動自体にあるかどうかという軸が存在している。

内発的に行動しているときに、外部から報酬の設定をすると、意欲が減退するとか。結構面白かった。

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 マンガではなくて映画の方をみた、マンガも読みたい。

「後味もよく、素直に感動した!」とはいえない映画だった。

帰り道自転車に乗りながらずっと悶々とした。

なにげない日常を壊しながら戦争が過ぎていく。

どうやって折り合いをつけたのだろう、そもそもつける間もなく戦後が始まったのだろうけれど。

そういう意味でコトリンゴが歌う主題歌はよかった。

主人公のすず役の能年玲奈もあってた、うなだれるときの声とか好き。

 

 

今年をふりかえって

ふりかえってみれば、まあよかったといえる一年となったかな。

自分なりに色々とやれたと思う。

反省も勉強もして、ある程度この先も学習関連ではいい感じにできそう。

 

精神面に関しても瞑想することでかなり改善は見られたのだけど、

やはり寂しさみたいなものは拭えないなと気づいた。

普段は平気なのだけど、ツイッター眺めてたり、ふと外を歩いていると寂しくなる。

まあこれは仕方ない面もあるけどね。

寂しさを埋めるためだけに交流する気も起きないし。

色々活動する中で人とかかわれる場面が増えるのが理想だ。

 

来年の抱負

収入源を増やす

今年はネットでちょこちょこやっていて、バイトはしていない自分にとってかなり助かった。

バイトも含め、毎月の定期収入を増やしていきたい。

 

資格を取る

TOEICのスコアで900↑めざしたい。

あと一つくらい勉強しようかと思っている。

 

習慣の強化

今色々と勉強を含めやっているので、少しずつ習慣を強化していきたい。

ある程度負荷があっても、気にせず取り組めるのが理想。まあ徐々に。

 

単位を取る

編入の関係上、取得単位数が若干少ないので、来年で取りきるつもりでがんがん入れていきたい。

今年度のも落とさない。

 

 

はーい終わり。つかれた。

来年はこのブログからも徐々に卒業していきたいね。

経済学で言えばもろサンクコスト的に惜しくて続けてる。

せめて更新を減らすか。

まあいいや、それではよいお年を。

 

自律的にレールに乗る



宗教に対して強い抵抗感をいだく日本人は多い。
僕自身、そういった類のものに幼少期から触れてきて、今では拒否するようになった。
しかし、日本人は無宗教なのかと言われれば、必ずしもそうとは言えないのではないか。
なぜなら、宗教とはある価値観を共有するコミュニティーに過ぎないから。
もちろんその価値観が極端な形で共有されるとオウムみたいになる。金銭やボランティアという形で搾取されることもよく見てきた。

しかし社会人、学生といったある一定の枠もまたある種の価値観を共にしている点では同じだ。
進学や就職、定年まで同じ会社で働くといった常識や価値観、これらを当然のように受け入れている人もいるように見える。

生きる上で価値観を少なからず自分の中に取り入れることは避けられない。
何が良くてなにが悪いのか知らないのは不安すぎる。他の人と違うのも怖い。肯定感がほしい。
そして、社会で共有されている価値観というのはそれを共有するだけの根拠はある。学歴が就活の根拠となることも別に全部が全部否定できるものではないだろう。

しかしながら、自分が望んでそれを信じているかどうかは考えなければならない。
適当にある価値を絶対視してみたり、他人や社会が良しとしていることに乗っかってみたり、結果それで勝手に苦しくなったりする。

重要なのは自分が必要だと思うことであったり、好きであることを大切にして社会と関わることではないか。

レールに乗る乗らないの話も、好きで乗るのなら素晴らしい。多くの人はそういった常識とされる中で自分で選び取っているのだと気づいた。

乗らないという選択も、それがまたレールを意識しての行動なのか、自分が望んだ結果なのかは考える必要があると思う。レールを外れたとして、外れることが主眼になっていては囚われていることに変わりないからだ。

僕自身に関しては、自分の感情を無視して常識に従いすぎていたかなとは思う。
常識と言うべきかもわからないが。親や友達の言葉にもならない暗黙のルールのようなものを必死に読んで生きてきた。

結果、自分という存在がひどく薄くなってしまった。
いつの間にかいたのかどうかすらわからない、そんな人間。
ここ数年は自信が揺らぎ続ける毎日だった。
他者、社会と関わることも、付き合いが少ない自分を考えると大切なのは間違いない。ただ、自分を無くしてまで従う必要はない。
自分が良いと思えることを大切にした上で関わる、価値観を取り入れる。
それが大切に思う。

幸いにも、今の時代は価値観の多様になってきているように見える。
自分がどうありたいかを考えた上で、選択できるような世の中ではないか。
最近はあまりいいニュースばかりではないが、多少楽観的に生きれるようになった。


考えるをかんがえる

自分で考えろって具体的に何?

ということで考える




主張は妥当か?

主張には理由がセット。
理由には色々あってデータや、具体例とか、主張するに至る経緯や説明がある。
経験則を語ってしまう人がいるが僕もだけど、そこに妥当性はない。根拠となる理由が妥当かどうか見極めることは考えることだ。



他分野との共通点、適用できるか

主張が妥当だとして、信用するに値する場合それが他分野と共通点があるか、そしてどんなことに使えるかを見つけることも考えることだ。
例えば「パンは確かに柔らかいよね、じゃあパンのやわらかさとおもちの柔らかさの共通点はあるかな、パンは酵母によって小さな空間が現れることで柔らかさを実現しているが、お餅はもち米の粘り気によって柔らかさを実現してるので違うかな」は考えてる。

また抽象的な話を具体的な話に落とし込むことも考える。例えば良く生きるというのになるほどとなって、じゃあ具体的な良く生きている状態ってなんなんだろうとなること。


現実的か

しばしば社会問題に対して尤もらしいことを言いたくなるが、世の中ひどく複雑で、自分が影響を与えられる世界はすごいせまい。
明日食べることを決めることはできても、政策は決められない。
考えたことが必ずしも自分にとって重要でないこともあるかもしれないが、考えるなら考えただけ自分の材料にしたい。


おわりに

考えるって楽しい。
根拠が重要な気がする、ないがしろにしがちだ。
根拠を探すのはひどくめんどくさい。
しかし気持ちの良い主張だけやるのは考えてないに等しい。考えてないのかもしれない。
具体的にするのも大事。抽象的だとわかった気になるし、考えて終わる。行動に落とし込むときは具体的なのが重要。

落ちた

 

あっさりと落ちて、軽くないた。

落ちる落ちる考えて自分を落ち着かせても実際に見るとへこむわけで、まあそれは仕方がない。親に報告するメールを書いていて耐えられなくなった。

振り返ってみると、今回もまた、浪人と同じように勉強が続かなかった。それでも浪人の時よりはやっていたのだけど。それでも自分が納得できる、そして受かるかどうかのラインに入るだけの勉強をしたとはいえない。じゃあなんで今回悲しくなったかといえば、かなりの易化で自分でも9割解けたから。少し期待してしまった。簡単な問題でさえやってきたことが活かされるのだろう。

こんだけ、やって失敗してを繰り返したので流石に自分への理解も深まったように思う。実際、今は目標に対して意欲的に取り組めている。

やっぱり惜しい気持ちは拭えない。しかしこの世は実力と運で決まる以上、やる以外に問題を解消する方法はない。今日は久しぶりにビールでも飲むことにする。