ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

ミュシャ展に行った

 

 

ミュシャ展を観に行った。

美術館なんて行くことはあまりないのだけど、暇だし少し気になったので。

 

ものによっては広いホールの天井まで届くようなでかさ、技術的なうまさだけでなくそれ自体の大きさで圧倒する感じは普段見ないだけに新鮮だった。

 

ただ個人的に印象的だったのは、リトグラフという版画で描かれたポスター大の絵。

花をテーマにした女性であったり宣伝する舞台の一場面だったりが描かれている。これは今の日本の所謂二次元的な表現に通じる感じがして面白かった。

 

まあ見ていて思ったのが、描かれた背景みたいなのが分からないと半分くらいしか楽しめないのかなということ。

普段はマンガや映像、ゲームなどビジュアルだけでなく、ストーリーや音楽などを通して同時に表現されることに慣れきっているため何となく、物足りなさは感じた。その一見したところでは伝わらない敷居の高さを乗り越え、背景を含め理解し楽しめることが、ある種の人にとってはステータスになるのかなと思った。

 

「君の名は」を見た。

 

先日君の名はを見た。

映画としての完成度や映像の綺麗さは、

売れすぎて少々うがった目線で見ていたことすら忘れるほど圧倒的なものだった。

メガネを忘れ多少ぼんやりしつつも、どの場面でも美しい風景がバックに移りストーリーだけでない楽しみがあった。

忘れたくなかった、彼女の名前を、救った命を忘れて大人になる。

ラストは今までの新海作品だったら、すれ違いはせよはっきり思い出せないまま終わるのではないだろうか。

 

考えてみれば、こういった思い出せないけれど大切だったはずの出来事、気持ちは誰しもあるようなきがする。

僕自信色んな作品に触れる中で、感動して数日は登場人物に思いを馳せるのだけど気づくともう頭には別のことでいっぱいになる。

編入や受験で悔しい惨めな思いをして、再起を誓ってもいつの間にかネットを始めている。

大切な気持ちはマジックで手に書くくらいの気持ちでありたいと思えた作品だったのでここに書いておく。

 

 

 

 

saikinn

ブログから離れてかなり時間がたった。元のブログは削除して、でも捨てきれなかった記事がゴミのように積もっているだけ。

最近は適当に大学に行って、ゲームをしている。瞑想や筋トレもしているが気休め程度。

単位を取って、留年しないだけましと考えるときもあるが、何だかんだこの生活を完全に肯定的に見ることはできない。

 

4月から一人暮らしを始めることになった。バイトはしていないし、家もそこまでお金はあるわけではないのだけど、無理を言った。

わがままなんだろうか。でもわがままでもいいや。

 

親は死ぬほど働いている。ブラックを笑えないくらいで休日もない。

申し訳ない気持ちもあり、でもやる気の出ない自分がいる。

 

働くのが怖い。

今の自分では何十年もの時間を乗り越える自信がない。

 

ダンガンロンパV3の感想

 

ダンガンロンパの最新作を購入した。

即プレイを開始し、金曜、土日、月曜とやり続けてようやくクリアをした。

 

今回の作品はアマゾンレビューをみると多くの一つ星が確認できる。

それで自分自身の評価が多少揺らいだが、振り返ってみても個人的な感想としては概ね満足である。

難があるすれば、ヒントを得るためのドライブゲームが退屈で面倒なところとラストか。

自分はこのゲームの魅力はキャラクターや誰が死ぬかといったドキドキとともに希望、絶望をテーマとしたストーリーだと考えている。

絶望的な状況に諦めずに希望へ向かう。

だから今回もその希望をつかむ話を期待していた。

しかし今回は希望を望むこと自体が絶望だった。

ラストの展開は希望で終わることを望む一人として、それを味わうためにフィクションの中であっても人間のコロシアイをみている自分に後ろめたさを感じた。受け売りすぎかもしれない。

まあ、コロシアイを楽しむ外野として登場するニコニコを模したコメントは自分としては共感できるものとはいえないが。所謂ニコ厨的なコメントで萎えた。

だから希望でも絶望でもない最後を望む才原たちを素直に受け入れたくなった。

最後の最後で生き残ったことには拍子抜けしたけど、これはある意味の希望的終わり方だと思った。

 

今回でダンガンロンパは終わるのだろうか。

多分だけど終わらないと思う。

まず、プロローグでの出来事が最後まで明らかにならないことだ。

ラストでもダンガンロンパのコロシアイに参加できたことを喜んでいるような描写がでているが、記憶が上書きされていないプロローグでの登場人物はコロシアイを理解していない。

他にも、主人公さらわれたという記憶は最後まで登場しない。

赤松楓は記憶を植え付けられる前の態度はどこか諦めを帯びている。

天海蘭太郎もコロシアイを知っているような口ぶり。

などなど疑問が残る。

 

どうなるんだろう。展開的に終わるなら終わってもいいのだろうけどなんとなく寂しいし、過去作品の人間が使い捨てみたいにされたのも嫌だった。

フィクション内でも嘘本当は通用するんだな。七海の思いとか全部無かったことになるなんて悲しすぎるよ。

 

 

ブログ依存

コミュに気後れがする自分にとってツイッターよりもブログのほうが依存的になる。何で依存みたくなるのか不明。

これからは何も考えず虚空に向かって文章を垂れ流すので、気楽に行きたいものだ。

掃き溜め

実は文章を書く場所というのはたくさんあるのだ。

ノートに書いて、エバーノートみたいのにも行動の記録を書いて、雑記ブログも書く。

それでもなぜここに書くのか。

それは歴史があるからだ。そして寂しいから。

僕がずっと書いてきたという思いがあるからだ。

なんとなく頑張って書いてきて、段々と鬱屈としてきて、開放される。

状況は何も変わってない。それでも内面は絶えず変わっていく。

体重の推移のように波打つ。感情も心臓も揺れる。

意味ってなんだ。寂しさはこのブログで埋められない。

でも何も考えずに書くこの場所がありがたい。