ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

理解できないからって石を投げないって大事だって話

ボクは例えば外国人が日本人に対してなんで〜なんだ?
おかしい!っていうのをネットで見るたびむむむーと思ってしまう。

ー日本人だからだよ!
そんなことを頭の中で唱える。

これは日本人同士でも起こることだ。
ー理解できない。なんで?なんでそれをしているの?
現実ではそれぞれの垣根が高い(といってもぶつかる時はある)がネットではそこらへん低くて
余計に理解できないっていう話がそこここで起きるんだと思う。

人の価値基準なんて人それぞれだ。
理解できるところも理解できないところも同じくらいあると思うのです。

しかしそもそも理解される必要はあるのだろうか。
わざわざ石を投げる必要はあるのだろうか。


宗教ごとにいろんな神がいる、同じ宗教の間でも解釈の違いはある。
親と子では経験してきたことも違う。
自分が好きなことを相手が嫌いかもしれない。
でもそれに何故とわざわざ唱えること、それによりぶつかることは本当に必要なのか。

少し前、夫がアメリカ人妻が日本人のエッセイを読んだ。日米問題のことが話題になるとお互いの主張で不穏な空気になってしまいそれ以降そのことには触れなくなったという。それでも他のエピソードなんかを通して関係は良好であるように感じられた。


相手が大事にしていること、当然だと思ってることに対して石を投げる。それはその分の反発を覚悟しなければならないということだ。
仲の良い関係でさえ気を使うデリケートなこと、ネットという顔もわからない関係だからこそよく考えて疑問を提起するべきだ。