ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

自己正当化と自己肯定は受け入れられるか否か。

 

乗っかてみる。

 

僕は自分自身正当化しまくっているので

結構正当化とか気にしてる。思うことを書いてみよう。

 

正当化と自己肯定の違い。

これはあることについて自分を認めた時、

それによって起こりうることを認められるか、うけいれられるかどうかで決まる気がする。

 

例で言えば僕がもう面倒なことはしなくていいや、そんな自分を認めてあげよう。勉強しなくていいよ。もう受験なんて投げちゃえよ。で遊んでばかりいたとする。

 

でもその結果大学はいけないし親戚にはグチグチ言われるしもちろん親からも白い目で見られるし今後のことを考えていかなければならなくなるだろう。フリーターにならなければいけないかもしれない。大した能力もなく色々と厳しい現実が待っているだろう。

しかしこれも自分が’’面倒なことはやらない’’と決めた結果である。

 

それらをうけいれることができるだろうか?

もしうけいれられないのであればそれはその場しのぎの言い訳だろう。自己正当化といえる。

それらを認められず更なる正当化をしていたら目も当てられない状況になってしまう。

 

逆にそれらを受け入れ、勉強できなくてもフリーターであれなんであれ続けていける覚悟があればそれは自己肯定と言えると思う。

 

 

正確な定義とか意識せず書いた。ので違和感とかあるかもしれないがそこはなんとなく読んでもらいたい。

こういう状況でなくても自己正当化というのは色々なところに隠れている。

以前ちょこっと出したがモラルライセンシング*1とか。

自分をちょくちょく観察しつつ「言い訳乙w」といってあげると楽しいかもしれない。

 

 

*1:良いとされる事をするとその後の行動が自分に対して甘くなるってやつだよ。実験で性別差別良くないと言ってた人のほうがその後の試験でより性別差別をしていた。(スタンフォード大学の自分を変える授業より