ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

褒めない母とキレる兄、そして僕は人見知り。

 

 

僕は人見知り

 

「人見知りが治るノート」反田 克彦(著)を読み始めた。

 

やはりというか自分に当てはまることが多い。

人見知りをする人は自己評価が低いという。

自己評価とはそのまんまの意味で自分に対する評価をいう。

 

その自己評価が低い人は「受け入れられた経験」が少ない、

つまり親の愛情が少ないことが原因でなるようだ。

逆に愛情をかけすぎる、過保護なんかでも陥ってしまうらしい。

 

僕は人見知りを治したい。

けれどその為には自分の育った環境、

そして自分の人との接し方について振り返ってみる必要がある気がした。

 

 

褒めない母

 

昔の記憶を探ると僕が泣いている。

夜になっても母親が帰ってこないのだ。

留守番電話に「早く帰ってきて」と泣き声を入れ込んだのを覚えている。

結局その日は帰ってこなかった。

何となくその時から一番大切なのは僕たちではないんだな、ということをうっすら感じたように思う。

 

褒められなかったこともその一因であったかもしれない。

今まで母親から一度も褒められたことがない。

逆に責められたことは何度もある。

 

小学生くらいから家事をやるよう課されたが、

やったらこれくらい楽に出来るんだから当然というようなことを言われ、

少しでも怠るとこれくらい当たり前に出来ないと困ると言われた。

今でこそ当然のように家事をしているが、当時は心底嫌になった。

 

 

切れる兄

 

兄は僕とは違い、愛情をかけられすぎたんだと思う。

祖母の話等聞くと甘やかされて育ったんだなあということが推察される。

そういえば、僕が自分のお金で初めて買ったゲーム機とソフトはまだspが販売されてない頃のゲームボーイアドバンス、そしてポケモンサファイアだった。

しかし兄はそれより前から自分のお金では買えないくらいのゲームボーイのソフトを沢山持っていた。ポケモンだけで赤と緑とピカチュウ版そして金と銀が揃っていた。

 

そんな兄は自分に嫌なことがあると、すぐにキレた。

キレると大体つねってきて、これも泣けた。

まだ保育園くらいの時はどうしても一緒にいることが多く、

結局僕は兄の顔色をうかがいながら生きていた。

まだ反発するなんて考えもしなかったのだ。

今ではキレることも少なく、落ち着いて来てはいるが今でも兄になにか言うのは怖い。

 

 

僕について

こうやって見てみるとこの2人が僕の人との接し方を決めたといても過言ではない。

自己評価も低く、人の反応が怖かった。

自分の意見は言わず、グループの端のほうで黙ってついていくような学校生活を送っていたように思う。

 

母親とのことを書くのはすごいきつかった。

きつすぎたので下書きに書いた半分以上文をまとめるのをやめた。

もちろん母親とのいい思い出というのもあるけれど、許せないという気持ちが強い。

正直良く分からないのだ。この関係を改善すべきかどうか。

母親とは対話が少なすぎたんだと思う。

ほとんど家にいないし、僕も思ったことをぶつけるようなことはしなかった。

このしこりのように僕の奥に残ったものをどうすればいいのか。

自己評価が低くなったのは間違いなく母親が原因に思う。

だからといって母親と向き合う必要なんてあるのか。

正直僕は今母親のことが嫌いだし深く話したくもない。

今はそれでいいじゃないかと思っている。

 

母親はよく僕が反抗したときそんなだと一緒に暮らしていけないと言っていた。

僕はそれに乗っかろうと思う。

春から一人暮らしをすることも決めた。

それがどういう結果になるかはわからないけれど、

歩みを止めることだけはしたくない。

 

 

 

昨日の夜、9割方手帳に書いていたはずなのに

ここまで書くのに1時間以上かかったよ、自慰記事ですまんな

 

人見知りが治るノート

人見知りが治るノート

 

 上に出てきた本。まださわりだけしか読んでない。

読み終わったらなんか書いてみようかな。