ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

ビリギャルについておもうこと


ビリギャルのこと最近よく見る。
ビリギャルとは学年でビリでギャルな高校生がカリスマ塾講師の巧みな指導によって偏差値をぐんぐん上昇させて、見事慶應に合格したという話。

よく見るというのはビリギャルの話というよりかはこのビリギャルが英語は学年でも上位までいってたとか、色々あるらしい。
あとは〜〜してたけど京大に合格した話はー?とかツイッターで軽い自慢話かな?みたいなことを呟いている人とか。
つまりビリギャルで偏差値すごい上がったとか言うけどそんなすごくないだろっていうことを言ってるんだと思う。

ただ僕が思うのはすごいとかすごいかでは無くてここまで書籍化されて実写にもなって有村架純がギャルになってみたいなことにまでなったのはお話としてよく出来ているからじゃないかということ。

まずギャルだということ。
ギャルというのは一般的に馬鹿だというイメージがあるし、ビリギャルの中でもいわゆるお馬鹿エピソードみたいな描写がある。
ギャルが有名大に受かるというギャップ。お話になる。

もう一つあるのがノンフィクションだということ。
落ちこぼれが頑張って成功する、みたいな話はフィクションではありふれている。この話もフィクションだったらその内容だけでは本になって大ヒットしてという訳にはいかない。
ネットを見ていると、やはりフィクションかノンフィクションかっていうのはかなり重要視されていることは感じる。
2chでは釣り針でかいとか、釣りだろとか、その話の信ぴょう性に関するレスをよく見かける。

こんなギャルが実際にいるということが一つの魅力になっているのだろう。

まあ英語は得意だったとかそういうことがビリでギャルだという話をブレさせてることは否めないかなあ。

なんだかビリギャルの話ってシンデレラに似ている、シンデレラも貧乏でいじめられてでも王子様に見出されて最終的には幸せって話だけど、考えてみたら可愛いから王子様に選ばれたんだし、魔法使いが来てかぼちゃの馬車を用意するとかなんとかも、都合良すぎないか?
落ちこぼれが成り上がったよとか悪い環境とかそこから脱して幸せになったよとかそういう話は夢はあるしお話にはなるけど、そうなるなりの理由があるなあと思いました。

僕が全然勉強出来なかったのにそれなりの大学に入れたのも母子家庭なりに参考書や生活費を親がくれたからだし、そりゃ自分の努力が全くなかったなんて考える必要はないけど、環境とか運も確実にあるよなあ。


暇つぶしに書いてたら長くなったけど終わるね。
それでは。