ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

無関心に気づく


最近読んでいる本に、世の中コミュニケーション偏重主義になってる~っていう話があった。
へーとなっていたが思った。
僕もまたその考えにそまっている。
僕はいつも誰かに見られているという感覚がつきまとって抜けない。
別にこれはお友だちがいた時からである。
小学生のころ、周りから見られているという意識で人が怖かった。
高圧的な先生とか嫌いだった。
友達がいたことでそれがやらわいでいたというのもあるかもしれない。
友達とか人と一緒にいると不思議と視線なんていうものが全然気にならなくなった。
それも不登校になって途切れる。
不登校になった辺りで、ピークに達して周りをうろつく人間が全員見られている、
もしくは知り合いに見られる恐怖から人の顔を見ないという技を身につけた。
見なければ、分からない。分からないから怖いけど見られることが分かるよりはマシだと思った。


最近、やっとそれなりに人の顔というものを見たり見なかったりするようになった。
結果そこまで見られていないのである。
それはそれでショックなのである。
思うのだけれど、そこまで人に関心を持たれているわけ無いのだ。


自分は嫌われている。不登校だし、コミュ障だし、2浪だし。
でもそれは多分違うのだ。そもそも視界になんてはいってないのだ。
本当は記憶にさえ刻まれていないのかもしれない。
怖くないですか?
嫌われている方がまだましだと思う。存在が認識されている。
人から見て、自分なんて存在していないようなものだ。
今までの関係は脳に深く刻みつけるほどの時間は過ごせなかったのだ。


ああ。


僕が生きてきた中で最悪だなあという感覚を覚える経験がいくつかある。
中学も卒業というとき、担任が訪ねてきて、色紙を渡された。
クラスの寄せ書きらしい。僕は中3時点でほぼ学校へ行ってはいなかったのだが。
もう捨ててしまったのだけど今でも覚えている。
大半の人、(関わりのなかった女子は特にだが)は"大して話したこともありませんが"、という前置きで始まっていた。
そして、名前も書いていないので
なんとなくこの人だろうなと推測できるような言葉も書かれてはいたが
大体はただ誰かもわからない人からどうでもいい僕に対して書かれた言葉で何となく怖かった。
でも何より不登校で自分の価値というものが揺らいで、クラスの人にも笑われるんじゃないかみたいな意識がずっとあったのに、僕がいるかいないか、僕が学校へ行くか行かないかということ自体大したことではなかったのだ。
いまだにあの内容で担任が僕に渡してきた理由がよくわからない。正直あれならもらいたくなかった。


書いてて思ったけど、別にこれでも無関心に気づけるはずだったのに。
それでも何となく、それが好意であれ嫌悪であれ関心を持たれたいんだろうな。
人の反応や、承認を求めている。孤独というのか。
何の解決にもならないけれど、承認されたり何かしらの反応があることで満たされるのだろうか。


ブログだってそうかもしれない。
大して書くことに力を入れているわけでもないし、それでいいやと考えて入るけれど
アクセス解析とか見てしまうと気持ちが沈んでくるんだな。


自分の欲というものがよくわからない。
ずーっと仲良くて小さい頃から一緒だったはずの弟とも半年以上会話をしていない。
厳密には事務的な会話くらい。
でも別に不思議とそれで寂しいとかはない。
すごいめんどくさく感じてしまう。
以前は毎日のように遊んでいたのに今は家にいたい。
なのに孤独は辛い。
みんなから必要とされたい。でもその努力をしたくない。
無関心で寂しくて輪の中に入りたいのか。
友達がいて遊ぶということが出来なくなって
それを正当化するために一生懸命理由を考えていた自分はとても馬鹿らしい。