ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

もっとカジュアルに休んで図書館でもなんでも行けばいいと思う

 

 

 

小学生の頃はよく仮病で休んでいた。

体温計を必死になって測って37℃になると嬉しくなって、

辛そうな顔をしながら母親に見せた。

母親は放任だったので見もせず、休む連絡をするのだが

こちらも建前上、毎回測った。

そうやって休んだときは何をするでもなく、

テレビもなかったのでいいともも見ずにゲームをしていたんじゃないかと思う。

(あんま覚えていない)

そんなこんなで休んだ次の日には多少のめんどくささは感じつつ学校へ行った。

別にそれで何も変わらなかった。勉強だって1日で大して変わらない。友達とも遊んだ。

 

中学になるとなぜだか休むことに対して罪悪感がひどくなった。

休むということをあんまり考えなくなっていた。

部活に入ったことが理由の一つだろうか。

とても辛かったが周りの頑張らなければいけない空気感の中で

僕も当然のようにいっぱい練習した。

休みは一日もなく、

運動音痴で成長期こない&早生まれの僕は上達もせず体格的にも不利で

頑張らなければいけないというのと

やっても何もうまくなんないし厳しくてしんどいしで、ただただ辛くなった。

部活以外でもクラスでめんどくさい役回りを押し付けられたり、クラス替えで仲いい人全然いなくなってしまったり不運ばっかだった。

そんな中僕はインフルエンザになり部活にも学校に行かない、ただただ休むことが

楽園にも思えてそのまま学校へ行かなくなった。

学校へ行かなくなってすごい楽にはなったけど逆にそれが負い目になって

友達の誘いを断り、自分の代の部活が終わってもおうちでそのまま卒業した。

 

そしていつの間にか友達の誘いが途絶え、

ずっと会話していなかった僕は暗くなって沈黙が多くなって、

高校でも深くは打ち解けられずに今では立派なぼっちである。

 

関係ってすぐ壊れるものなのか、

僕が友達がいると錯覚していたのかはよくわからないけれど

学校に少しでもつながりがあるのなら

つながりを保つ努力っていうのは多少は必要な気がする。

当時は学校へ行かないことで死にたいほど辛くはならずに済んだのだけど

ぼっちの今は簡単に死にたいマンになる。

小学校中学校高校問わず、

辛いなあって思ったらカジュアルに休んでまた明日頑張ろうでいいと思う。

いじめられているとかなら、学習をする場所として学校へ行く価値なんてない、僕自身中学半分しか行ってないし、高校も授業中はスマホをしていたけどなんとか国立には入れた。

 

でもさあ、学校へ行かなくなるってことは負い目だったなあと思う。今でも肯定感低い。 

 あああああああ。

うあああああああああああ。

何だかなあ、違うわ。

”もっとカジュアルに休んで図書館でもなんでも行けばいいと思う”じゃないのだ。

”もっとカジュアルに休んで図書館でもなんでも行けばよかった”という気持ちだ。

偉そうなこと言えない。ただただ自分のこと書きたいだけだ。

後悔したくないいいいい。たらればは死だあああああああああああ!!!!

 

まとめ?

学校へ行かなければいけないと思わなくていいけど

本当に学校へ行かないとそれなりに負い目になる場合があるので

てきとーに休んで図書館に行って学校にも行ければいいな!でいじめられるとかなら

学校以外にも場所によるかもだが通える場所はあるので

お友達は保つもしくは見つけられるといいねという話でした。

 

みんな生きよう!!!

 

 

終わり。

 

 

自殺したいくらい辛いってやっぱそれだけ切羽詰まってるってことだろう。

僕もたまたまインフルで休めたけどあのまま行かないと部活も頑張らないとでいたらどうなってたんだろう。。。

あのツイートを6年くらい前に見たかった。

そして図書館に悪い大人たちも一緒に集まりやしないかみたいな話を見たけど

どうなんだろう。僕はわからない。

僕は学校へ行ってなかった時は映画見に行ったり、ご飯食べに行くくらいだった。

でも僕はあのツイートは別に図書館にいくってとこばかりが重要でなくて死ぬくらい辛かったら学校を休んでってとこがやっぱ大事なんじゃないかって思う。

あれを見て、ずーっと休んでいたのに初っ端から休むことの罪悪感が死ぬくらい辛い子から少しでも消えてくれるのなら価値があったと思う。

ああ、それを許してくれる人がいるんだなあと。

 

 

だから、そんな感じで、はい。終わります。

 

 

図書館幻想

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