ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

諦めた後

 

人生を諦めたとして、この先の生活にどんな変化があるのかわからない。

少し休んで、自分の好きなことをやれば良いのか。

自分が楽しいと思っていることをする時、それなりに楽しいと思う。しかし集中が途切れた時、ものすごい喪失感を感じてしまう。笑顔と今の表情のギャップに苦しくなる。

ただ生活しているだけで辛くなってくる。生活とは起きて寝て、ごはんを食べる。着替えて風呂にはいることだ。力が湧かない。脱力感がある。眠たくなったら寝て、起きた時間に悲しくなる。

 

なんか、自分がダメな理由を書いている人のコメントが自分としては割と辛いものだった。僕は内容に共感こそしないけれど、書きたくなる気持ちはわかる。

僕は今現状に否定的で、その理由がほしい。いっそ、頭のどこかがおかしければいいのにと思う。養育環境だって良いとはいえない。そうした不満を出来ない理由にして何が悪いのか。その表明が誰を傷つけるだろう。僕がこのままうだうだとネットの日陰でブログを書き続けてうだつの上がらない人生を送ることになるかもしれない。そうだとしてそれを味わうのは僕であり他の誰でもない。

根拠がおかしいという指摘は、間違いではない。しかし、そのおかしさは指摘したところで簡単に治るものではない。レポートの指導で、問題点を見つけることができたら、問題は8割解決したも同然であるなんて話をされたことがある。実際には到底そうは思えない。現実はおかしいことばっかりなのに、奇跡のバランスで成り立っている。バランスが崩れるとイギリスがEU離脱したり、トランプが大統領になったりする。明らかにおかしいのに、おかしいよねって言う人はとても純粋で愛おしい。おかしいことをおかしくないって言う人もいるのだ。そして彼らが世を動かすこともあるのだから馬鹿にしちゃいけない。だからもうすごいめんどくさい感じな世の中。爆発してしまえ。

 

僕は頭がいいつもりだったのに人生めった打ちである。認識のズレは災難しか生まない。でも頭いいのではという気持ちが抜けない。スターをもらうと特に。馬鹿丸出し。

なんだか非常に疲れている。気力が湧かない。元気いっぱいになれない。明日食事に行くらしい。それが今の希望である。

どんなに売れた自己啓発書もその内容がどれだけ科学的根拠に基づいて、人生にプラスの影響を与えるとしても、内容を実践しなければ意味が無い。多くの人は買うだけで終わるだろう。それでも買った人の1%でも継続できる人がいたら、きっとその本は価値があったといえるのではないか。

ネットで細かい揚げ足を取り、間違ってますよねという指摘になんの価値が有るのか。