ダムダム日記

ぼっちの孤軍奮闘ブログ

理由を探している

 

 

ネット見ると、それを言うための理由探しを延々している場面に遭遇することがある。

それが言いたいだけだよね?というか。

例えば、論点とは違う大した問題ではない部分をあげつらう行為とか。それは何かを指摘して優越感を感じたいであるとか、発言により承認浴を満たしたいという意図はないんだろうか。ただ、問題を問題だと指摘することに使命感、もしくはただ問題があったから。と山登りの人と同じような言葉を吐くのだろうか。

理由というのはひどく曖昧なもののように思う。誰かが言う、~~だしを素直に受け取れることはめったにない。そこに何かしらの言い訳や建て前みたいなものが見えるようで若干のフラストレーションを感じる。別に、相手がそれで納得しているのだったら別に良いのだろうけど。それが自分にも及ぶ。

何かを尤もらしく語るときに因果関係を説明するのは割りとシンプルに納まるから楽ではあるのだけど、そこに当てはめると何となく靄がかかって見えない。

大学は勉強するために入りました、就職に有利だから入りました、何が理由なんだろう。コミュ障だから友だちがいないのか、ただ運が悪かったから友だちがいないのか、本当のところはどうなのか。全部が全部わからない。でも、納得しないと、わかったつもりにならないとひどく不安定で正気でいられない。だから適当に結果に合う理由を適当に見繕って説明するのではないか、と思う。