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ダムダム日記

ダムのように深い、バスケットボールが弾む音

考えるをかんがえる

自分で考えろって具体的に何?

ということで考える




主張は妥当か?

主張には理由がセット。
理由には色々あってデータや、具体例とか、主張するに至る経緯や説明がある。
経験則を語ってしまう人がいるが僕もだけど、そこに妥当性はない。根拠となる理由が妥当かどうか見極めることは考えることだ。



他分野との共通点、適用できるか

主張が妥当だとして、信用するに値する場合それが他分野と共通点があるか、そしてどんなことに使えるかを見つけることも考えることだ。
例えば「パンは確かに柔らかいよね、じゃあパンのやわらかさとおもちの柔らかさの共通点はあるかな、パンは酵母によって小さな空間が現れることで柔らかさを実現しているが、お餅はもち米の粘り気によって柔らかさを実現してるので違うかな」は考えてる。

また抽象的な話を具体的な話に落とし込むことも考える。例えば良く生きるというのになるほどとなって、じゃあ具体的な良く生きている状態ってなんなんだろうとなること。


現実的か

しばしば社会問題に対して尤もらしいことを言いたくなるが、世の中ひどく複雑で、自分が影響を与えられる世界はすごいせまい。
明日食べることを決めることはできても、政策は決められない。
考えたことが必ずしも自分にとって重要でないこともあるかもしれないが、考えるなら考えただけ自分の材料にしたい。


おわりに

考えるって楽しい。
根拠が重要な気がする、ないがしろにしがちだ。
根拠を探すのはひどくめんどくさい。
しかし気持ちの良い主張だけやるのは考えてないに等しい。考えてないのかもしれない。
具体的にするのも大事。抽象的だとわかった気になるし、考えて終わる。行動に落とし込むときは具体的なのが重要。