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ダムダム日記

ダムのように深い、バスケットボールが弾む音

自律的にレールに乗る



宗教に対して強い抵抗感をいだく日本人は多い。
僕自身、そういった類のものに幼少期から触れてきて、今では拒否するようになった。
しかし、日本人は無宗教なのかと言われれば、必ずしもそうとは言えないのではないか。
なぜなら、宗教とはある価値観を共有するコミュニティーに過ぎないから。
もちろんその価値観が極端な形で共有されるとオウムみたいになる。金銭やボランティアという形で搾取されることもよく見てきた。

しかし社会人、学生といったある一定の枠もまたある種の価値観を共にしている点では同じだ。
進学や就職、定年まで同じ会社で働くといった常識や価値観、これらを当然のように受け入れている人もいるように見える。

生きる上で価値観を少なからず自分の中に取り入れることは避けられない。
何が良くてなにが悪いのか知らないのは不安すぎる。他の人と違うのも怖い。肯定感がほしい。
そして、社会で共有されている価値観というのはそれを共有するだけの根拠はある。学歴が就活の根拠となることも別に全部が全部否定できるものではないだろう。

しかしながら、自分が望んでそれを信じているかどうかは考えなければならない。
適当にある価値を絶対視してみたり、他人や社会が良しとしていることに乗っかってみたり、結果それで勝手に苦しくなったりする。

重要なのは自分が必要だと思うことであったり、好きであることを大切にして社会と関わることではないか。

レールに乗る乗らないの話も、好きで乗るのなら素晴らしい。多くの人はそういった常識とされる中で自分で選び取っているのだと気づいた。

乗らないという選択も、それがまたレールを意識しての行動なのか、自分が望んだ結果なのかは考える必要があると思う。レールを外れたとして、外れることが主眼になっていては囚われていることに変わりないからだ。

僕自身に関しては、自分の感情を無視して常識に従いすぎていたかなとは思う。
常識と言うべきかもわからないが。親や友達の言葉にもならない暗黙のルールのようなものを必死に読んで生きてきた。

結果、自分という存在がひどく薄くなってしまった。
いつの間にかいたのかどうかすらわからない、そんな人間。
ここ数年は自信が揺らぎ続ける毎日だった。
他者、社会と関わることも、付き合いが少ない自分を考えると大切なのは間違いない。ただ、自分を無くしてまで従う必要はない。
自分が良いと思えることを大切にした上で関わる、価値観を取り入れる。
それが大切に思う。

幸いにも、今の時代は価値観の多様になってきているように見える。
自分がどうありたいかを考えた上で、選択できるような世の中ではないか。
最近はあまりいいニュースばかりではないが、多少楽観的に生きれるようになった。